【西淀川区女児虐待死事件】バットで殴打し寒空の中ベランダで放置。それでも「殺意の認定困難」で判決8年

家庭内

覚えていますか?2009年の「西淀川区女児虐待死事件」

2009年4月7日。大阪府大阪市西淀川区の、松本聖香ちゃん小学4年生(10歳)が行方不明となり、親によって家出人捜索願が出され、大阪府警が捜査した事件。

警察が「松本聖香ちゃんをさがしています」とチラシを作って情報を募りましたが、後に、聖香ちゃんの母親である、松本美奈(当時34歳)と同居男性の小林康浩(当時38歳)、知人男性の杉本充弘(当時41歳)を任意で事情聴取することとなりました。

聴取の結果、小林康浩が「聖香が家のベランダで死んだので、遺体を奈良県に埋めた」と供述したため、奈良県奈良市の山中にある墓地を捜索したところ、奈良県奈良市の山中にある墓地で、供述通り聖香ちゃんの遺体を発見。それを受け、女児母親・松本美奈と同居男性・小林康浩と知人男性の杉本充弘が死体遺棄罪で逮捕されました。

行方不明の娘がいるとは思えない行動の数々

報道陣に「私も聖香に早く帰ってきてほしい」と話していた松本美奈。しかし、夜になると小林康浩などと頻繁に外出をする姿が目撃されています。酒を飲んで焼肉を食べるなど、行方不明の娘がいるとは思えない行動の数々に、店員も不審に感じていました。

繰り返された暴力の数々

松本聖香ちゃんは、日常的に数々の虐待を受けていました。

裁判の際には、

・木刀やプラスチック製バットで殴打

・ドアに叩きつける

・2009年3月下旬以降から、寒空のもと防寒・寝具なしで寝ることを強要

・出ていけ!と言われると、「お願いです。話をさせて下さい」と正座して前置きをしてから「家において下さい」と懇願することを命じられていた

・一日の食事は残り物の白米で作った塩などの味付けの無いおにぎりひとつ、またはバナナ1本

・水分は一日に500mlのみしか与えられなかった

・喘息の発作の薬を与えられなかった

などの虐待の実態が明らかになりました。

2009年1月頃には、すでに顔に痣ができており虐待が行われており、3月頃からはベランダへの放置が日常化していました。近所の人によると、この頃、4階にある自宅には簾が突如としてかけられたとのこと。おそらく外部からベランダに放置しているのが見えないようにしていたのでしょう。

マンションからは時折「臭い!あがってくるな!」との怒号が聞こえたそう。

素足のままベランダに放置され、肌着の上にスウェットという格好で、9度しかないベランダで一晩を明かしていました。

「ひまわりのたねをさがしている」「ここでねる。おやすみなさい」

後の裁判では、亡くなる2日前には、横たわったまま右手を動かして「ひまわりのたねをさがしている」とうわごとを話し、亡くなる直前に(午後3時)には、「ここでねる。おやすみなさい」といい、ベランダで一切動かなくなりました。

亡くなる当日には、衰弱しきっている聖香ちゃんに対して、ベランダへの置き去り(失禁)、殴打、平手打ち、正座の強要、ナイフによる恫喝、玄関からの締め出すという苛烈な虐待の事実も明らかに。

喘息を患っていた聖香ちゃんにとって、水分を与えられず寒空のベランダに放置されるのは、喉の渇きと共に発作の辛さに耐え続けなければいけない辛い日々だったと想像できます。

裁判では検察に「9歳の女の子が一身に受けるにはあまりにも強烈な虐待で、被害女児の味わった苦しみは想像に余りある」と言わしめ、傍聴席からはすすり泣きが漏れるほどの凄惨な虐待の事実が読み上げられました。

死因ははっきりとせず

聖香さんの死因は詳しく判明しませんでした。司法解剖の結果、脳に小さな血種や身体に痣が見つかりましたが、命に関わるものではありませんでした。

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虐待から救い出す手は届かなかった・・・

聖香ちゃんを虐待から救い出すチャンスは、何度かありました。

しかし、その全てが命を救う事に繋がらず、家庭内で起きている虐待事件がいかに発覚が難しいかを物語っています。

近所からの通報を受け、警察官が訪問

3月23日未明、西淀川署員が自宅を訪問。

「ぎゃぁ!」という悲鳴を聞いた近隣住人が、DVを疑い通報したためでした。

出てきたのは母親の松本美奈。「夫婦げんかです。大丈夫です」と応え、警察官は「静かにしてくださいね」と注意し、その場を去った。

学校側も追及できず

1月16日、学校へ登校した聖香ちゃんの顔に、痣ができていたことを不審に思った教員が松本美奈に事情を聴いた。しかし返ってきたのは「聖香はうそをつく癖がある。自分で顔をぶつけたんです」という答え。教員はそれ以上追求することができなかった。

聖香ちゃん誕生から判決までの時系列

1997年~

松本美奈と元夫が結婚。姉、聖香ちゃん、聖香ちゃんと双子の妹を出産。

2004年~

大阪市西淀川区へ転居。娘たちを保育所に預けて事務の仕事を始める。

2006年~

夜間もレストランで働く。このころ夫婦仲が悪化。

2007年

大阪・北新地でホステスをはじめる。この頃から汚れた服を着た聖香ちゃんが「ご飯を食べさせて」と近所を訪ね歩く姿が目撃される。台所には食べ残しがあり虫がわく状態。

2008年10月

元夫と離婚。松本美奈と小林康浩が交際を開始。

(一番上の姉と一番下の双子の妹は、元夫のところで暮らす。)

2009年1月16日

学校で顔に痣が見つかる。教員がどうしたのか聞いたところ「前のお父さんの家に行ったら、お母さんと新しいお父さんに怒られてたたかれた」と聖香ちゃんが話した。教員が母親の松本美奈に聞いたところ「聖香はうそをつく癖がある。自分で顔をぶつけたんです」と答えた。

3009年3月頃

ベランダに締め出されている聖香ちゃんの姿が、近所の人からたびたび目撃される。

2009年3月11日頃

学校を長期休む→学校側が面談を求めたところ、小林康浩が、「面倒がみられないので和歌山の親類に預けている」「共働きなので忙しい」と断る。

2009年3月22日

「殺すぞ!」という男の怒鳴り声と、「ぎゃぁ」という女の子の声が聞こえ、ベランダに締め出されているのが近所の人から目撃される。

2009年4月5日の夜

大阪市淀川区の飲食店で、松本美奈と内縁の夫の小林康浩、友人の杉本充弘、そしてまもなく小学校に入学する小林康浩の長男(6)の4人が、焼肉を食べビールを飲む姿が目撃されている。

2009年4月6日

(朝)ベランダで聖香ちゃんが亡くなっているのを発見。

(夜)自宅マンション前で松本美奈の乗用車の後部ガラスに目隠しを張り、聖香ちゃんの遺体を積み込んだ。小林康浩が2年前まで住んでいた奈良市にある墓地に向かい、約70cmの穴を掘り、裸のまま遺棄。

2009年4月7日

(朝)小林康浩の長男の入学式に、松本美奈と内縁の夫の小林康浩、友人の杉本充弘が出席。

聖香ちゃんの担任が松本美奈に聖香ちゃんの様子を尋ねると「家で元気に勉強していますから」と話す。

(夜)西淀川署に松本美奈によって「聖香が家出した」と捜索願が提出される。警察官には「7日朝、自宅で聖香さんに勉強をしなさいときつくしかった後、小林容疑者の長男の小学校の入学式に出かけた。しかし、3時間半後に帰宅すると聖香ちゃんはいなくなっていた」と説明。

友人や同級生の家に「娘がおじゃましていませんか」と電話をかける。

コンビニに協力を求める。

2009年4月9日

公開捜査の必要性を告げられるも、「消極的な姿勢」。

2009年4月10日

新聞の定期購読を申し込む。捜査状況を知る為だったと思われる。

2009年4月14日深夜

大阪市淀川区内の飲食店でホルモンを食べビールを飲む松本美奈と小林康浩が目撃される。

時折笑い声も聞こえてきた。

2009年5月13日

死体遺棄で松本美奈と内縁の夫の小林康浩、友人の杉本充弘を起訴。

2009年6月10日

保護責任者遺棄致死罪で起訴。殺人罪として立件できなかったのは「ベランダに閉め出した後も毛布や食事を与えていたことから殺意の認定が困難」だったため。

2010年7月

大阪地方裁判所で裁判員裁判が開かれ、7月21日に松本美奈被告に対して懲役8年6ヶ月の判決を、小林康浩に対して懲役12年の判決をそれぞれ言い渡す。

軽すぎる判決「毛布や食事を与えていたから殺意の認定は困難」

裁判員裁判の第3回公判が2010年7月14日、大阪地裁(樋口裕晃裁判長)で行われました。

公判では内縁の夫の小林康浩の供述調書が証拠として採用され、検察側が朗読。

そこには上に挙げたような悲惨な虐待の数々が読み上げられ、傍聴人はじめ多くの人の胸を痛めました。

「聖香を守るべき私が守れず本当に悪いことをした」と供述していましたが、娘を助けることはせず、亡くなった当日も「夜は怖いので朝まで待って」と、小林康浩の虐待行為を止めませんでした。

しかし、裁判の結果、大阪地裁は2010年7月21日に松本美奈被告に対して懲役8年6ヶ月の判決を、小林康浩に対して懲役12年の判決。死亡に直接関与していなかった杉本充弘は、死体遺棄罪で懲役2年6月執行猶予4年の有罪判決となりました。

これは、わずか9歳で亡くなった聖香ちゃんが受けてきた数々の虐待や、亡くなったという事実に対して、軽すぎる判決だったのではないでしょうか。

この事件に関しては「大阪市における小学生女児死亡事例 検証結果報告書」というものが作成されています。事件の概要を詳しく知りたい方はこちらから見てみてください。

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聖香ちゃんの事件から10年経ったのに・・・

2017年にアメリカで起きた虐待事件では、日常的な暴行と虐待により3歳の子供を殺した事件では、「終身刑に加えて85年と105年」という重い判決が下されました。また、同年にはオクラホマ州で“最悪の児童虐待事件”と呼ばれる事件で、児童は命を取り留めたものの「130年の懲役刑」という判決が出ています。

なぜ、日本は虐待死をさせたにも関わらず、8~12年で刑務所から出てこれるのでしょうか?

聖香ちゃんの事件から10年経った2019年。

目黒区で船戸結愛(当時5歳)が虐待の末に亡くなった事件では、母親の優里被告が懲役8年の判決。船戸雄大被告には懲役13年の判決が出ました。

聖香ちゃんの事件から10年経った今でも、虐待死させた親の刑期はさほど変わらず、出所してからも子供をつくることができるような年齢です。

虐待防止は大人が取り組まなければいけない大きな問題。今一度私達に何ができるのか、考えてゆく必要があります。

「日本の虐待における刑期は本当に妥当なのでしょうか?」

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